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コラム 第17回

電車の中。
浦和での授業が終わって、代官山での2コマに向かっている。

いま、母子を観察している。
こどもにイライラしているママを見ている。
どうしても、同じ目線で怒ってしまうらしい。


同じ目線でと言っても、小さな者に合わせるでなく
自らの方にぐいぐい引き寄せようとしている。
こどもは、背伸びしても届かない。

小さなこどもなんて、猫や犬と一緒なのに。
こちらの都合を言って聞かせても理解できず
すこしの時間で脳内がリセットされ、次がくる。
しつけることは可能と小さなうちに自信満々だと
9才を迎える頃からしっぺ返しを食うことになる。
ミスリードには、要注意。

イライラを見せてしつけるよりも、
どうやって守らせるか、大人なりの知恵を利かせよう。
できることなら、面白がって守るように。
イライラしたり怒鳴ったり
せこい判断でそんなことするのは止めにしよう。
狭いあなたの了見でしかないのだから。

コラム 第12回

本日は“県民の日”だとかで、埼玉県内の学校はお休み。
一方の私は、授業を早く終えたいと希望してきた生徒たちを、これから気前よく迎えるところです。


ところで、塾でも個人としてもFacebookを利用していますが、「過去のこの日」というサービスがあって、過去の同じ日に自分でした投稿があれば、リマインドしてくれます。
以下は、2年前の“県民の日”に個人アカウントで書いたものとして、上がってきました。


浦和駅前では、朝から統一教会らしき団体が、なんちゃら先生の説く愛について説明している。

いいもわるいもない。

ただ個人として、まったく無関心にそこを通り過ぎながら、古いものも新興も宗教がたくさんあって当たり前にしていられる、そんな日本の精神的土壌とでもいうか、それが日本の豊かさをあらわしているなぁなんて思うのだ。

神様が多い地域は、精神的にゆとりがある。

ひとつしか神様を許せないような地域は、歴史の中にそうなる要因を抱えていた。
なるべくしてなった。(と、言うしかないだろう)

ゆとりがあってもともとだから、九州が関門海峡を爆破して分離独立… なんて意識も起こらないのだろう。他の世界では増えてきたね、そんな動き。

科学が混ざって、これからの人々にどこまで「神」が必要になるのか分からないけれど、もしかしたら私たちは、今もって西遊記冒頭の「筋斗雲で宇宙の果てまで行ってやらぁ!」程度なのかもしれない。

NHK「おはなしのくに」 西遊記

進みに進んでその果てに、それが「神」の掌(てのひら)さえ越えない歩みだったと知るときが来るのか。 ……その時が、まだ反省と再生をする余地のある段階だとよいのだけれど。

これが正しい、ではなく、あれもこれもあって不思議ではない

というような謙虚さは、私たちを育てることはあっても、滅ぼすことはないだろう。

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アメリカで大きな選挙が終わって間もないですが、結果に良いも悪いもなく、すこしでも世界が“寛容”に向かっていくことを期待するだけです。

コラム 第8回

前回お話しした【全体を意識する】という考え方と対立するものとして、“偏見”や”ステレオタイプ”があります。
偏見は字の通り、偏ったものの見方によるもので、
ステレオタイプ(Stereotype)は、多くの人に浸透している先入観、思い込み、認識、固定観念やレッテル、そして差別などの類型・紋切型の観念までを表すものです。

©藤子プロ・小学館・テレビ朝日・シシエイ・ADK

先週末のアニメ「ドラえもん」には、宇佐美ボルトくんという、いわゆるハーフの男の子が登場したようです。(※1) 有名な陸上選手の名前をモジったものであることは容易に想像できますし、その通りの韋駄天(いだてん)キャラクターとして出てきました。
制作側の意図は、もちろんよくわかります。しかし、なぜ安易にハーフキャラにしてしまったのでしょう。たとえば、日本人初の100m走9秒台が期待される桐生祥秀選手をモデルにした“桐生くん”などではいけなかったのでしょうか。
アニメでのことですし、ウサイン・ボルト選手にあやかったハーフのキャラクターがいたところで目くじらを立てる必要はないのですが、今回の「ドラえもん」の一話に限らず様々な場面で、こういった “特殊な役割”や“流暢に言葉を使い分ける存在”としてしかハーフのキャラクターが扱われないことを残念に思います。
なぜなら、全体を意識したときに、ハーフの子たちが皆なにか特殊な能力、才能に恵まれているわけではないからです。特に血筋のために他よりも秀でているといえる物事があるというのは幻想に近いもので、何事も体得には修練が必要です。環境が左右することはあると思いますが、必ずしも想像される通りのものがあるかというと、実際はそうと限りません。生活習慣についても同じです。


・黒人のハーフなら、身体能力が高い。(※2)
・欧米のハーフなのだから、英語は話せるだろう。
・フランスのハーフは、いつも家で美味しいものを食べている。
・アメリカのハーフは、体に悪い食べ物が好き。太りやすい。
・インドのハーフは、カレーばかり食べている。
・ブラジルのハーフは、サッカーがうまい。
・ハーフの子たちは、皆モデルみたいな容姿をしている。

…と、このようなイメージが先行してしまうと、

・足の遅い黒人ハーフ
・英語の話せない欧米ハーフ
・パンより米食、ワインも飲めないフランスハーフ
・サッカーがうまくないブラジルハーフ
・「モデルのよう」とは言えないハーフの子たち  などは「ダメじゃん」
その一方で
・ふくよかな体系のアメリカハーフ
・カレーが好きなインドハーフ  は「やっぱり」などと
どちらにしても言われた側が不必要に傷つくような切り捨て方をされることが出てきます。


メディアが私たちに及ぼす影響は、大きなものです。
タレントのウエンツ瑛士くんが、その時はハーフとしてではなく一人の若者として「政治番組に呼ばれる年配ゲストが政治に興味関心のある方たちばかりである一方で、若いゲストは見るからに何も知らなそうな者が呼ばれることが多い」という趣旨のコメントをしたことがありますが、それも今回と同じ根の問題を提起したものでしょう。
この場合「若者は政治に興味がない」というステレオタイプをあえて利用した番組側のタレント起用だとしたら、それが世間の認識をより固定させてしまうものである点、悪趣味であると言うしかありません。

大人たちよりも政治に詳しい若者や、出木杉くんを抑えるほど賢い黒人ハーフキャラなどは、誰かの認識にそぐわないことから「おもしろくないもの」として採用されないのかもしれませんね。

今回は、こどもたちを対象としたアニメなどで無意識に“ハーフ”が上に挙げたように取り扱われることで、ステレオタイプが生まれるのだということ、そして、今まさにそういったステレオタイプとたたかっているハーフのこどもたちがいることを知ってもらえると、ハーフとして日本に育ち、皆に作文を教授するお仕事までしている私としては、うれしく思います。


ある物事、あるものの見方に触れたとき、全体からそれを俯瞰しようとすることは、いつでも大切です。
偏りや歪みがあるかもしれないと気がついたら、せめて自分は正しいバランス感覚をもちたいと、意識を修正してみましょう。
もしかしたら、そういう感覚の個人が増えていくことそれだけで、大半の争いや反感、嫉妬などがなくなるのかもしれません。
イライラする年頃の生徒たちに、話して聞かせている内容でもあります。



※1
劇中で明確に“ハーフ”だと紹介されていたわけではないようですが、名字と名前の組み合わせからそのように判断されます。
※2
もちろん“黒人”というのも避けるべき雑な括り方です。