コラム 第8回

前回お話しした【全体を意識する】という考え方と対立するものとして、“偏見”や”ステレオタイプ”があります。
偏見は字の通り、偏ったものの見方によるもので、
ステレオタイプ(Stereotype)は、多くの人に浸透している先入観、思い込み、認識、固定観念やレッテル、そして差別などの類型・紋切型の観念までを表すものです。

©藤子プロ・小学館・テレビ朝日・シシエイ・ADK

先週末のアニメ「ドラえもん」には、宇佐美ボルトくんという、いわゆるハーフの男の子が登場したようです。(※1) 有名な陸上選手の名前をモジったものであることは容易に想像できますし、その通りの韋駄天(いだてん)キャラクターとして出てきました。
制作側の意図は、もちろんよくわかります。しかし、なぜ安易にハーフキャラにしてしまったのでしょう。たとえば、日本人初の100m走9秒台が期待される桐生祥秀選手をモデルにした“桐生くん”などではいけなかったのでしょうか。
アニメでのことですし、ウサイン・ボルト選手にあやかったハーフのキャラクターがいたところで目くじらを立てる必要はないのですが、今回の「ドラえもん」の一話に限らず様々な場面で、こういった “特殊な役割”や“流暢に言葉を使い分ける存在”としてしかハーフのキャラクターが扱われないことを残念に思います。
なぜなら、全体を意識したときに、ハーフの子たちが皆なにか特殊な能力、才能に恵まれているわけではないからです。特に血筋のために他よりも秀でているといえる物事があるというのは幻想に近いもので、何事も体得には修練が必要です。環境が左右することはあると思いますが、必ずしも想像される通りのものがあるかというと、実際はそうと限りません。生活習慣についても同じです。


・黒人のハーフなら、身体能力が高い。(※2)
・欧米のハーフなのだから、英語は話せるだろう。
・フランスのハーフは、いつも家で美味しいものを食べている。
・アメリカのハーフは、体に悪い食べ物が好き。太りやすい。
・インドのハーフは、カレーばかり食べている。
・ブラジルのハーフは、サッカーがうまい。
・ハーフの子たちは、皆モデルみたいな容姿をしている。

…と、このようなイメージが先行してしまうと、

・足の遅い黒人ハーフ
・英語の話せない欧米ハーフ
・パンより米食、ワインも飲めないフランスハーフ
・サッカーがうまくないブラジルハーフ
・「モデルのよう」とは言えないハーフの子たち  などは「ダメじゃん」
その一方で
・ふくよかな体系のアメリカハーフ
・カレーが好きなインドハーフ  は「やっぱり」などと
どちらにしても言われた側が不必要に傷つくような切り捨て方をされることが出てきます。


メディアが私たちに及ぼす影響は、大きなものです。
タレントのウエンツ瑛士くんが、その時はハーフとしてではなく一人の若者として「政治番組に呼ばれる年配ゲストが政治に興味関心のある方たちばかりである一方で、若いゲストは見るからに何も知らなそうな者が呼ばれることが多い」という趣旨のコメントをしたことがありますが、それも今回と同じ根の問題を提起したものでしょう。
この場合「若者は政治に興味がない」というステレオタイプをあえて利用した番組側のタレント起用だとしたら、それが世間の認識をより固定させてしまうものである点、悪趣味であると言うしかありません。

大人たちよりも政治に詳しい若者や、出木杉くんを抑えるほど賢い黒人ハーフキャラなどは、誰かの認識にそぐわないことから「おもしろくないもの」として採用されないのかもしれませんね。

今回は、こどもたちを対象としたアニメなどで無意識に“ハーフ”が上に挙げたように取り扱われることで、ステレオタイプが生まれるのだということ、そして、今まさにそういったステレオタイプとたたかっているハーフのこどもたちがいることを知ってもらえると、ハーフとして日本に育ち、皆に作文を教授するお仕事までしている私としては、うれしく思います。


ある物事、あるものの見方に触れたとき、全体からそれを俯瞰しようとすることは、いつでも大切です。
偏りや歪みがあるかもしれないと気がついたら、せめて自分は正しいバランス感覚をもちたいと、意識を修正してみましょう。
もしかしたら、そういう感覚の個人が増えていくことそれだけで、大半の争いや反感、嫉妬などがなくなるのかもしれません。
イライラする年頃の生徒たちに、話して聞かせている内容でもあります。



※1
劇中で明確に“ハーフ”だと紹介されていたわけではないようですが、名字と名前の組み合わせからそのように判断されます。
※2
もちろん“黒人”というのも避けるべき雑な括り方です。

0 件のコメント:

コメントを投稿