コラム 第24回

私が小学6年生だったのは、23年前。そのときクラスを受け持ってくれた恩師に、この夏再会することができました。“日本一の先生に選ばれたことがある、自慢の先生です。
※どうやって選んだのか分かりません。ただ、もう定年退職されましたが、その前にも東京都小学校PTA協議会から再び表彰されることがあったようです。本当にいい先生でした。

その彼女が毎日(愛する!)教え子たちに課したのは自勉(じべん)でした。読んで字のごとく、自ら課題設定して進める勉強、それが宿題です。
学校で勉強したことの復習はもちろん、授業の面白かったところだけを切り取って理解を深めるのも、学習をどんどん先取りして自分勝手に進めるのも、何でも自由でした。

しかし、制約のない完全な自由って、むしろ息苦しいものなのです。初めは苦心しました。正確に言えば、始まって少しして苦労するようになりました。ただ、私たちの先生は、毎日提出される自勉の中からイイものをピックアップし、“クラスだより”にコメントと共に掲載してくれました。載った子は自信になる、それを見た子はヒントを得る、自分も採り上げられたいと燃える。そんなイイ空気がクラス全体にひろがっていました。

↑宮沢賢治「やまなし」を扱った自勉ノートから↓


前回の続きになりますが、「イヤだ」と思うことを勉強しても、覚えにも理解にもつながりにくく、意味がありません。時間をかけたのに成果につながらず落ち込む、そんな生徒たちの気持ちを私は100%理解しますが、どこかで「イヤだ」と思っているものには能力が発揮できないようになっているんです、多分。ですから、そのことで自信まで失ってはいけません。
自信は、本当に上達したい何かのために、取っておくべきです。その大切な自信を失うくらいなら「イヤなこと」をさせられてダメと判を押されそうになり、落ち込みそうにまでなっている現在の自分自身というものを、一度根底から疑ってみてください。勉強するのがイヤならば、勉強してはいけないのです。

【つづく】

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