コラム 第34回

この夏、NHK for School・Eテレでふしぎエンドレスという番組が(おそらく第1学期分再)放送されていた。
教科で言えば「理科」だろうが、その枠を飛び出し、疑問を持つこころ自体を育もうとしていた。
「ふしぎ!が増えれば、知りたくなる」とかなんとか、番組キャラクターが言っていたのがコピーだろう。
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2018年度から採用の新学習指導要領に沿った「主体的で対話的で深い学びの姿勢」を育てる内容だった。
Aの疑問にはA'、Bの疑問にはB'と、それぞれ答えが用意されており、その知識の吸収と定着を目指すのがこれまでの学習のメイン。もちろん疑問を自力で持てる子には「素晴らしいですね」と声がかけられたが、先生の多くも知識脳だから、その先へ柔軟に光が当てられることは、学校教育では少なかった。
それがどうだ。この新しいTV番組は、サンプルとなる学びがあったあと、いくつかの疑問を提示し“教室”のこどもたちに予想させるが、こたえは示されないまま番組は終わる。視聴者となる子の親世代には、モヤモヤもどかしさの止まらない方も多いだろうが、様々に疑問を立てて、ふしぎについて多角的に予測・検証しようとする姿勢を養うほうが、解答を与えるよりも尊いのである。特に教育の意味、役割としては。
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#開成 #筑波大附属駒場 など、最優秀と考えられる高校から、お相撲の懸賞金束みたいに、この春まとめて合格通知を受け取った子へ、以前、期間限定の作文指導をしたことがある。
すでに模試成績の最上位クラスを定位置としていたらしい彼だったが、授業中でも普段の会話でも、私との間で彼から最も多く出てきたのは「わからない」という言葉だった。もちろん、ソクラテス的な“無知”などではない。本物の“思考停止”だ。悪く言いたいわけではないが、そういう子には、既存の模試とは別尺度の客観視点から「合格圏外」を伝えるしかできない。“優秀”には程遠い。知識脳は、模試以外ではツカエナイのだ。
社会は成長しようとしている。データは脳の外側に扱いを任せ、脳とこころをより有意義に使おうとする、そんな姿勢の人間を求めている
その入り口に立たせる初等教育の、それも試行段階の番組「ふしぎエンドレス」ではあるが、きらめきくらいの小さな光は、学校教育にも見出だせそうだと思わせてくれる内容だった。

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