コラム 第32回

「きれいな字」を強要する大人へ、大切なのは【知の整理】
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上の提言をテレビで行っていたのは林修先生。私が宋美玄さんの記事を読んで意見を書くより前に、似たテーマで話されたようで、少しばかり恥ずかしい。教えてもらって、私もその放送内容を確認してみた。
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字が汚い方が良い/字がキレイだとダメ、ということではなく、学問において大切なのは、“文字”よりも“知”を整理すること。それが、林先生の伝えたかったこと。
4タイプに分けることができるこどもの字だが(下記参照)、林先生の経験上、優秀な生徒は④の「字は汚いが、知の整理が上手」で、①の「字がキレイで、知の整理も上手」よりも多かったとのこと。このことから、優秀な子には自分なりのまとめ方があり「自分が分かればそれで良い」と考える子が多いことが分かるのだという。
それにも関わらず、子どもに「きれいにノートを書きなさい」と強要した場合、きれいに書くことが目的となってしまい、最も大切な「知の整理」、書いていることを理解し情報をまとめる力が身に付かなくなってしまう可能性があるとも述べていた。
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①字がキレイで、知の整理も上手
②字はキレイだが、知の整理が下手
③字が汚く、知の整理も下手
④字は汚いが、知の整理は上手
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先の投稿2つと矛盾するようだが、作文の清書にあたっては、私も教室で「丁寧に書くこと」を生徒たちに求めている。それは……
◆現時点では魅力的な手書きロボットが手元にないから
◆作文を習いに来ている子たちの“丁寧さ”を育てるためには、清書で読み手(他者)を意識させることが必要だから
である。
決して何でもかんでも丁寧にきれいに書けと強要しない。メモのとり方は教えるが、メモの字については正に「自分で分かればいい」と伝えて自由にさせている。そして、タイピングができるようになった子から、清書の苦労ともおさらばさせるのである。
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“丁寧さ”を育てる先生は、自分の好きなこと追求したいことのそばにある
というより、雑なままでは追い求められないので、必要な“丁寧”をそれぞれが見出さざるを得ない。
美文字のチェーンなどでこどもたちを束縛するべきでは、本来ないのである。

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