コラム 第12回

本日は“県民の日”だとかで、埼玉県内の学校はお休み。
一方の私は、授業を早く終えたいと希望してきた生徒たちを、これから気前よく迎えるところです。


ところで、塾でも個人としてもFacebookを利用していますが、「過去のこの日」というサービスがあって、過去の同じ日に自分でした投稿があれば、リマインドしてくれます。
以下は、2年前の“県民の日”に個人アカウントで書いたものとして、上がってきました。


浦和駅前では、朝から統一教会らしき団体が、なんちゃら先生の説く愛について説明している。

いいもわるいもない。

ただ個人として、まったく無関心にそこを通り過ぎながら、古いものも新興も宗教がたくさんあって当たり前にしていられる、そんな日本の精神的土壌とでもいうか、それが日本の豊かさをあらわしているなぁなんて思うのだ。

神様が多い地域は、精神的にゆとりがある。

ひとつしか神様を許せないような地域は、歴史の中にそうなる要因を抱えていた。
なるべくしてなった。(と、言うしかないだろう)

ゆとりがあってもともとだから、九州が関門海峡を爆破して分離独立… なんて意識も起こらないのだろう。他の世界では増えてきたね、そんな動き。

科学が混ざって、これからの人々にどこまで「神」が必要になるのか分からないけれど、もしかしたら私たちは、今もって西遊記冒頭の「筋斗雲で宇宙の果てまで行ってやらぁ!」程度なのかもしれない。

NHK「おはなしのくに」 西遊記

進みに進んでその果てに、それが「神」の掌(てのひら)さえ越えない歩みだったと知るときが来るのか。 ……その時が、まだ反省と再生をする余地のある段階だとよいのだけれど。

これが正しい、ではなく、あれもこれもあって不思議ではない

というような謙虚さは、私たちを育てることはあっても、滅ぼすことはないだろう。

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アメリカで大きな選挙が終わって間もないですが、結果に良いも悪いもなく、すこしでも世界が“寛容”に向かっていくことを期待するだけです。

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