コラム 第11回

前回の投稿から、ずいぶん時間が空いてしまいました。
生徒たちにとっては1人1部の読書感想文が、教える私には10部20部と積み重なるため、今年も慌ただしい夏休みを送っておりました。
しかしながら、先週に入って、生徒たちから「感想文が代表に選ばれたぁっ!」という声を聞くようになったので、疲れも吹き飛びました。先生冥利に尽きるというものです。


さて、
その前回の投稿では、”自分で考える”ことの大切さをお伝えしました。
そんなこと当たり前なのに、なかなか当たり前には育たない、“自分で考える”力を養うことについてです。

そして、こどもたちを取り囲む保護者の方々や学校の先生方、そのほか私のような習い事・お稽古事の指導者に必要な“見守る”姿勢について言及しました。

今回は、特に保護者様方にはそれが浸透しにくいという問題点について、考えてみたいと思います。


◆保護者は、本当に見守れないのか
もちろん、どちらか一方であるというような結論はありません。
見守れる人は見守れるし、見守れない人は見守れない。
見守れないという中には、「見守れず口をはさんでしまう」と自覚されている方もおられるでしょうし、無自覚な方もおられるでしょう。
一方で、「見守ることができている」と考える中にも、実はできていない方というのが一定数いると思われます。見守ってもいない、放任というのもあるでしょう。
様々な方と関わり、お話を伺ってきましたが、やはり見守れない親御さんは増えてきている、こどもたちへの口出しが多いというのが、私が持っている全体的な印象です。


◆見守らない=口出しすることは、悪なのか
ズバリ言うと、です。
そうはっきりと言うことができるのも、当塾が小学生~高校生まで長く受け持つ場所であるからです。半数を超える数の生徒が6年以上在籍してくれています。もちろん統計結果として出せるほどの人数を見てきたわけではないので、これも「印象として」という前置きを付けざるをえませんが、確かだと感じています。
それは、勉強が義務になっていたり、押し付けられたもの、お母さまお父様の監視下にあるものになっているご家庭では、こどもたちが本来持っている“知りたい/学びたい”という自発性が失われていくからです。時間もなければ、気力もない。

今、与えられた作業はできても、近い将来、自分で課題を見つけて自由に対処することのできない人間を育てることになるだけです。
それもそのはず。「さぁ、レールはあるよ。この上をまっすぐ走りなさい」「なぜ横道にそれるの!まっすぐ進むの!それが最短なの!」と育てられた人間が、広い道や未開の荒野に放り出されたときにできることは、皆が歩く方向を見て真似ることか、それもできずに立ち尽くすことだけ。そんなものです。
自分らしい判断力を身につけるためには、何よりも失敗が必要になります
しかし、敷かれたレールの上では、失敗も紙の上や点数の上に限定されたものになりがち。もっと、思うように生きた上での失敗が、経験として必要なはずなのです。こどもが小さいなら、小さいなりに。

口を出しながら、手を貸しながら、監視しながら、面倒見よくこどもを育てるというのは、こどもの自由度が低いというふうに言い換えることができます。
そういった子は、たとえ偏差値が高くても、優秀とは限りません。
従順であることと優秀であることは両立しないのです。


◆問題は“自分の子”だという意識
こどもも他人。いずれは一人前の別の人になる存在。そのように考えることが、むしろ健全であると私は思います。
それは、お子様への変わらぬ愛情とは別次元で必要な認識なのです。
それができずに、「私の子だから」「私たちの宝だから」と、こどもの人生設計に夢中になりすぎても、萎縮した子を育ててしまうか、そのうちこどもからの猛反発を食うかになってしまうものなのです。
「親子だから分かり合える」「私(たち)の子だから、きっと分かってくれる」……と妄信してこどもたちに望むのではなく、分かり合えるようになる“こどもの見守りかた”を積極的に模索してみてください。

とにかく、とても難しい問題です。
「先生が仰ることはよく分かるのですが、家庭で行うとなると容易ではありません」
そのように言われる方も多いです。でも、そんなこともないのですよ。口を出したくなったら、深呼吸の力を借りて、我慢を実行するだけです。
初めに書いた通り「見守れる人は見守れるし、見守れない人は見守れない」のですが、ほとんどココで決します。そのうち、落ち着いてこどもたちを眺めることができるようになります。近くにいても、遠くから見守れるようになるのです。我が子の失敗に、拍手と励ましを送りましょう。
そのように眺められるようになって初めて、こどもに何が足りないか、どんなことが必要か、こどもが今どんな成長のどの辺りに立っているか、が見えてくるようになります。何もしないのではありません。

アドバイスさせていただいた中には、こどもたちへの接し方を変え、「子育てを楽しめるようになった」や「私自身、ストレスに感じることが減った」という感想をいただけたご家庭もありました。
アドバイスの後では、私も授業前後の保護者様・こどもたち間のやり取りに聞き耳を立てることがあるのですが、柔軟な方は本当に柔軟に、話しかけ方を変えておられました。
その柔軟な姿勢は、他の大切な場面でもきっと発揮されるでしょうし、こどもたちもそのような姿勢の親御さんを見て、知らず知らず柔らかな人になっていくでしょう。もちろん、“自分で考える”ことも当たり前にできるようになるはずです。

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